北京見聞録

留学・就業・ 京劇 時々鳥ネタ

留学記のブログ記事

留学記(ムラゴンブログ全体)
  • 帰国の途へ・・

    日本に帰国したのは、サース騒ぎのあった2003年の暮れ。 プライベートもうまくいかなくて、同時にアルバイト先も受付は正規職員を 雇いたいとクビをチラつかされました。 駐在員さんたちも、バイトに対してのお考えや態度なんかも人によってやっぱりいろいろ違います。 最初は愛想悪いな~と思ってた人が意外に優... 続きをみる

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  • 京劇天国

    前にも書いたけど、初めて京劇というものを知ったのは18歳(?) の時でした。 実際北京に見に行ったのではなく、テレビで見たのですが。 おそらく国交回復ナントカ等で特別放映されていたのだと思います。 演目は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を描いた「長生殿」。 もちろん日本語字幕付ですが、一緒に見ていた父と共に... 続きをみる

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  • サース顛末記 

    ちょうどSARSで騒がしかったあの頃、2003年の5月。 まさに渦中の北京にいたのです。 政府も隠していたので、最初は香港の方だから問題ないと周囲も楽観視していた けれど、その後はご存知の通り・・。 しかし、北京にも感染者がたくさんいる!と認知されてから、迂闊にも 誘われるまま人ごみの多いクラブな... 続きをみる

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  • 持ち歌をぜひ一つ♪

    留学や駐在に行けば、中国人とカラオケに行く機会もあるでしょう。 何か一曲は北京語で歌える持ち歌があると助かりますよ。 おすすめは、テレサ・テンの「我只呼你(ウォジーザイフーニー)」 (時の流れに身を任せ) です。          音痴の私でも歌いやすい。 中国人は喜ぶし、日本人仲間からは「凄... 続きをみる

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  • 乗馬にハマる

    この2002年の後半から半年くらいの間に乗馬レッスンにも通ったりしてました。 日本人の社会人同士のつながりで乗馬クラブに行ってみようというノリになり、 安かったので月1~2回くらいは通ってたと思う。 お馬さんたちも次第に顔を覚えてくれるようになり、厩舎に行くと 「ブヒヒ!(また来たの?)」とコミュ... 続きをみる

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  • 画家のモデル

    ある日、その江蘇省の先生のお友達である、とある画家さんのアトリエに連れ 行ってもらいました。 この画家先生(王可偉/ワン・クーウェイ)はなんと阿南(アナミ)駐日大使の肖像画を 手がけたことのあるスゴイ方でした。 そして話の流れから「よし、ちょっとモデルになってごらん!」と言われ、 なんと私も描いて... 続きをみる

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  • 新しい教室へ

    11月の半ばに何くれと世話してくれた何氷が故郷に帰ることになり、 今日で教室最後という日にマックでお茶した後、 「がんばるのよ~」って抱きしめてくれました。13歳も年下なのに しっかりしてたわ。(´;ω;`)ウッ…。 私たちが仲良くなったのも、お互い北京ではよそ者という事もあり どこか寂しかったか... 続きをみる

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  • 王府井の美術培訓(2)

    私は石膏デッサンから始め、その後は皆より少し遅れて静物コースへ。 不透明水彩(ガッシュ)で描くのだが、絵の具は先生が私の為にわざわざ 先に用意して下さっていた(こっちの人ほんと優しい)! 今度は高校生たちが私の為に不透明水彩の使い方をレクチャーしてくれました。 こちらのパレットは日本のと少し形状が... 続きをみる

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  • 王府井の美術培訓(1)

    さて、家も見つかり、仕事には行ってるものの、午後からは完全にフリー である。かといってまた語学スクールに通う気も起こらないし・・、 少なくともあと1年は北京にいるつもりなので何か学びたい。 そんな時ふと目にした絵画教室のチラシが目に入り、 「そうだ、絵をやろう!」と思い立ち、さっそく王府井にある教... 続きをみる

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  • 北京で物件さがし

     仕事も決まったので、大学が終わるまで(=寮を出るまでに)アパートを探さ なければ・・と思って不動産会社をめぐることになりました。 これが予想以上に苦労して、内覧に行った物件は全部で10件以上。 実際は肝心の物件よりも不動産会社にてこずった。 「外国人は紹介できない!」と門前払いされたり、 「日本... 続きをみる

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  • 後期はエンジョイ

    授業にはすっかり出なくなったけど、何も勉強しなくなったわけではなく、 HSKの問題集もしていたし、英語も必要性を感じたことから英会話教室 のレッスンに五道口(ウーダオコウ)まで通ったりもしました。 ほかにも、大学近くの建国門にバーがあり、ラテンダンスの教室を開催していた のでクラスメイトと一緒に習... 続きをみる

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  • 距離感

    駐在員さんたちは確か7人くらいで、 英語はペラペラだが中国語が話せない人が多く、したがって公共機関の 乗り物にも普段あまり乗らないという。 私が「バスにも乗りますよ」 と言うと「え~、アレに乗ってるんですか!? (ようやるわ)」的な感じで言われました。(・ε・)ムー 運転手さんの送迎つき出勤、高級... 続きをみる

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  • 職場はこんな感じ 

    まずビックリしたのは、スタッフ同士は自分より立場が少々上の人に対しても 相手のことをフルネームで呼び捨てします。李海波なら「リー・ハイポー!」  日本人の私がそれをすると馴れ馴れしいかも?と思い、私はいちおう 「〇〇先生」と呼んでいた。 ・・ちなみに私は「〇〇小姐」ではなく、苗字で呼び捨てされてま... 続きをみる

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  • 時給は50元

    **~再び留学記に戻ってきました~** 2002年の私のアルバイト代は時給で50元でした。 日本円に換算すれば当時で約700円なので、マクドのアルバイトくらい。。 週5の半日勤務なので月5万円程度の収入になり、贅沢はできないけど、 日本での貯金を切り崩さなくて済むようになったので有難かった。 のち... 続きをみる

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  • 大阪弁を自覚 する

    駐在員さんたちは、関東出身の人が多く皆スマートな標準語で話す。 その時まで自分の関西訛りを気にすることなどなかったが、 駐在員を統括する所長さんに自己紹介すると、 開口一番     「大阪弁だね!」 と言われてしまった。 東京支店からよく電話をかけてくる人が出張で北京に来たことがあり、 「ああ、あ... 続きをみる

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  • オフィスは国貿

    アルバイトが決まったことで日本の母親はたいへん心配していた。 「そんな学校との両立なんてできるの?」と。 (ごめん、実はもう授業に出てませんお母さん・・)と言えないので 「うん、大丈夫、大丈夫(;^ω^)」とごまかす。 (留学費用は全部自分で稼いだお金だしそんな悪いことはしてないハズ) 一方、北京... 続きをみる

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  • 北京でアルバイト? 

    3月に入り後期授業が始まった。 後期のクラスメイトは引き続き5班から上がって来た少数メンバーに、 新たに加わった日本人も数人。以前にも留学に来たことのある子が多く、 中国に慣れていてリラックスした雰囲気。今度のクラスは楽しい感じ。 そしてまた半年勉強がんばるゾ♪ とやる気満々だったのに、なぜだか授... 続きをみる

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  • 後期のルームメイトはベトナム人

    旅行から戻るとアニエスは置手紙を残し、イタリアへと戻っていた。 暫くして私も7号楼へと移り後期授業に向けて備える。 そして間もなくやってきたのは*越南(ユエナン)人の女の子。  *越南=ベトナム アニエスに比べると超あっさりした性格で私にも興味がなく、名前も 覚えてくれず、私を呼ぶ時も「同屋(トン... 続きをみる

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  • 春休みの南方旅行 4 ~海南島~

    そうこうするうちに今度は、チャンスが 「せっかくここまで来たんだから海南島へ行きたい」と言い出し、 私は「もう一人でもいいから飛行機に乗って北京に帰りたい」と 訴えたのものの、なぜかまた流され結局つきあうことになりましたヽ( ´ー`)ノ この海南島の旅はシューリンは参加せず南寧に留まりました。 そ... 続きをみる

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  • 春休みの南方旅行 3 ~南寧

    日本人にとってはなじみの薄い南寧(ナンニン)だが、印象は良かった。  あまり、中国らしくないというか、すがすがしく開かれた感じがする。 柳州もそうだったけど、夜遅くまでお店が開いていて、大通りでは パレードなんかもやっていた。 さらに下町に行くと、夜市があり、海に隣接してる土地柄、海産物が豊富。 ... 続きをみる

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  • 春休みの南方旅行 2 ~柳州~

    桂林の後で北京に戻るはずだったのに、 シューリンの実家で春節を過ごすことになり、柳州へと向かいました。           実家へ行く途中、シューリンは爆竹を買ってました。 北京ではすでに禁止になっているけど、まだ地方では春節に爆竹を鳴らす らしいんです。 小綺麗なマンションに彼女のお父さんやお兄... 続きをみる

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  • 春休みの南方旅行 1 ~桂林

    3月からの後期授業が始まるまでの2月は丸々お休み。 その間を利用してAさんがお友達と旅行するのに便乗させてもらうことに なりました。 その友人というのが、中国人女性(シューリン)と 韓国人の男子学生(チャンス)。 2人とも語言学院に在学中で、シューリンは南寧の公務員で、スペイン語の研修の 為に北京... 続きをみる

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  • 北京でいちばん好きな場所

    ブログの為にネットをいろいろ見ていると、 懐かしい地名がたくさん出てきて、嬉しさのあまりつい独り言が・・。 私は北京の北の方が好き。 それも語言学院とかまでの北に行くのではなく、 東四、美術館、隆福寺や、そこから西に折れて西単に行くまでの道など。 どっかからお借りした写真 友達で后海が大好きという... 続きをみる

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  • その後・・

    その後の約束は特になかったのすが、何日かしてまた何か持ってきてくれたん ですね。ロビーで待ち合わせしてたんですが、あ~このまま二人で出かけたい って思ってたら、ちょうど共通の知り合いの日本人の男子学生(J君)が通りがかり、「あれ、二人友達やったん?」となり、そのまま三人でフラリと出かける 流れにな... 続きをみる

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  • 友人関係

    前にアパートより寮がいいと確かに書きはしましたが 寮の欠点は人間関係が狭く、特定の人といったん気まずくなると後がツラいと いうことですね。 実を言うと前期の半年はクラスメイトとトラブルがあり、あまり楽しい とは言えなかったのです。 留学に来ていても、中には真面目に勉強しない人もいる。 「ピンイン(... 続きをみる

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  • そしてお正月

    年が明け、アニエスも休みを利用してどこかに行ってるのか部屋にいない。 お正月は一人で梨園劇場へ京劇を見に行ったり、互相学習の周さんのお宅に お邪魔したりして過ごした。 周さんの家は北京の東、物質学院のすぐそばにあった。 71年生まれの彼女は私と同い年、三人兄弟の末っ子というのも共通してか 意気投合... 続きをみる

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  • 大晦日の夜

    経貿の授業は1月で終了ですが、大学生の中にはそれを待たずに年末で帰国する 子もちらほらいました。早めに帰る子は皆に見送ってもらえて羨ましい。 年末年始の2~3日は大学もお休みで、大晦日はちょっと贅沢してJAZZ屋で 日本食でも食べようかと同世代のAさんと三里屯のJAZZ屋に行く。 JAZZ屋はテレ... 続きをみる

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  • 互相学習(フーシャンシュエシー)

    「相互」(そうご)ではなく「互相」(ごそう)と書いて互相学習「huxiangxuexi」 と発音します。 (*この場合の意味は中国語を勉強したい日本人と、日本語を勉強したい中国人   がペアになりお互いの言語を教えあうことです) 私が留学前に中国語を勉強した期間は約10ヶ月。 週に1度、梅田の中国... 続きをみる

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  • 雀のいる部屋

    京劇ブログになってしまう前にひとまず留学ブログを書いて おかないと・・( ゚ω^ )ゝ さて、1週間のアパート生活から逃げ出し、大学内の12楼号に舞い戻った。 しばらくすると、ガサガサと壁から音がするのに気づく。 一体なに? ネズミ? それとも虫かなにか?(;゚д゚)… そういえば窓側の壁の高い所... 続きをみる

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  • 寮よりアパートがいい?②

    以下は私を含むアパート暮らしがいまいちだった人たちの事例です (M美/東直門) 経貿で知り合った大学3年生のM美が留学後期にさしかかり、 寮暮らしに飽きてきて(ルームメイトとも合わなかった様子) しきりに寮から出たがっていた。 それでしばらくしたら東直門にある3DKのアパートを日本人同士でシェア ... 続きをみる

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  • 寮よりアパートがいい?①

    翌年、北京でバイトを見つけてからは寮を出てアパートを借りるのだけれど、 それはもう少し先のお話・・ 例えば語言大学のような広い敷地なら寮よりアパートのほうが教室に近い場合も 実際あるので、一概に言えないのだけど、 まだ中国に来たばかりの不慣れな状態で、電車やバス、自転車などの通学に なるなら「やめ... 続きをみる

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  • ルームメイトはイタリア人

    12号楼の話の続き さて、なんとか 部屋も整い、しばらくすると私の部屋にも 同屋(ルームメイト)がやってきた。 彼女はイタリア人。ナポリの出身で名前はアニエス。 なので、先生から 阿年色(a nian se) という漢字名を付けられていた (もっと綺麗な漢字使ってあげればいいのにね~って、    ... 続きをみる

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  • 宿舎について

    留学中の2001年当時、大学内の宿舎は12号楼と7号楼があり、 12号楼には上のランクから 10ドル、6ドル、4.5ドル部屋があった。 10ドル部屋にはバスタブもあり、少しリッチな内装。 (ホテル代わりにも使え、日本から友人が遊びに来た際利用しました) 6ドルと4.5ドル部屋には、シャワー・トイレ... 続きをみる

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  • 首都経済貿易大学

     留学先は首都経済貿易大学に決めた。 学費が安く、しかも市の中心に近かった為である。  (紅廟にあるキャンパス これは南門 光華路に面している)         実際に留学すると近所に精華美院という美術系の大学があり、 そこにも漢語進修班があった。 そちらの方が国貿のすぐそばで、学費も同じくらい安... 続きをみる

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  • 北京留学のなれそめ

    幼い頃からなぜか中国に興味があり、 確か80年代のテレビ中国語会話の情景(*)を覚えていたり、 日中国交正常化10周年のニュースに喜んだりしているような 子どもでした。 19才、24才、26才の頃に中国語学習熱が起こるも せいぜい三日坊主ですぐ挫折。 29才の頃にテレビで「大地の子」の再放送をして... 続きをみる

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