北京見聞録

留学・就業・ 京劇 時々鳥ネタ

帰国の途へ・・

日本に帰国したのは、サース騒ぎのあった2003年の暮れ。
プライベートもうまくいかなくて、同時にアルバイト先も受付は正規職員を
雇いたいとクビをチラつかされました。
駐在員さんたちも、バイトに対してのお考えや態度なんかも人によってやっぱりいろいろ違います。
最初は愛想悪いな~と思ってた人が意外に優しかったり、調子いい感じの人が上司の意向に沿って私への態度を変えたり・・
(まあそんな事される自分も浅はかな部分があったのだと思います)


でも次の人もなかなか見つからず、「おれるまでいていいよ」的な感じでし
たが、そういわれてもね~o(_ _*)o
他の会社に面接とかも行きましたがはかばかしくなく、
北京生活も潮時かな~と思い帰国を決めました。


帰国してみると三和銀行はUFJ銀行になり、
大阪には留学前より格段に中国人が増えていた。
心斎橋筋商店街のアナウンスも、中国語が流れてる。随分、インターナショナル
になったものだ。
何か中国語を使った仕事をしたくて、数社チャレンジする。
しかし、1社目は社長たちが占いや風水にこりすぎ、
屋上のお社に社員を整列させ神主さんを呼びご祈祷に参加させる。
他にもやみくもに掃除させたり、最悪なのは社員を怒鳴りちらすこと。
なので1か月でやめた。
2社目は香港と取引のある会社。
でもそこでは求められるレベルが高く即クビになる。
その後はしばらく短期の派遣を転々とする。
そして、年末にエバー航空の予約業務を代行する会社へ面接に行き、
派遣写真として無事採用されました。
仕事はすご~く大変でしたが、台湾のお客様と話すことができ、
すっかり台湾びいきになりました。


しかし半年後、東京にあるエバー航空の事務所が
「これからは東京でやります」といきなり言ってきたので、雇い止め(x_x;)
でも良い経験させてもらいました。


その後は現在にいたるまで中国語は使わない職なんですが、公共施設なので
たま~に中国の人が来るんです。こっちの説明が分かってないな~と思われる
時は中国語で説明します。
また直接、中国や台湾と関われる仕事もいいな~と思いますけどね。

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