そうこうするうちに今度は、チャンスが 「せっかくここまで来たんだから海南島へ行きたい」と言い出し、 私は「もう一人でもいいから飛行機に乗って北京に帰りたい」と 訴えたのものの、なぜかまた流され結局つきあうことになりましたヽ( ´ー`)ノ この海南島の旅はシューリンは参加せず南寧に留まりました。 そ... 続きをみる
2018年4月のブログ記事
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日本人にとってはなじみの薄い南寧(ナンニン)だが、印象は良かった。 あまり、中国らしくないというか、すがすがしく開かれた感じがする。 柳州もそうだったけど、夜遅くまでお店が開いていて、大通りでは パレードなんかもやっていた。 さらに下町に行くと、夜市があり、海に隣接してる土地柄、海産物が豊富。 ... 続きをみる
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桂林の後で北京に戻るはずだったのに、 シューリンの実家で春節を過ごすことになり、柳州へと向かいました。 実家へ行く途中、シューリンは爆竹を買ってました。 北京ではすでに禁止になっているけど、まだ地方では春節に爆竹を鳴らす らしいんです。 小綺麗なマンションに彼女のお父さんやお兄... 続きをみる
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3月からの後期授業が始まるまでの2月は丸々お休み。 その間を利用してAさんがお友達と旅行するのに便乗させてもらうことに なりました。 その友人というのが、中国人女性(シューリン)と 韓国人の男子学生(チャンス)。 2人とも語言学院に在学中で、シューリンは南寧の公務員で、スペイン語の研修の 為に北京... 続きをみる
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ブログの為にネットをいろいろ見ていると、 懐かしい地名がたくさん出てきて、嬉しさのあまりつい独り言が・・。 私は北京の北の方が好き。 それも語言学院とかまでの北に行くのではなく、 東四、美術館、隆福寺や、そこから西に折れて西単に行くまでの道など。 どっかからお借りした写真 友達で后海が大好きという... 続きをみる
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「相互」(そうご)ではなく「互相」(ごそう)と書いて互相学習「huxiangxuexi」 と発音します。 (*この場合の意味は中国語を勉強したい日本人と、日本語を勉強したい中国人 がペアになりお互いの言語を教えあうことです) 私が留学前に中国語を勉強した期間は約10ヶ月。 週に1度、梅田の中国... 続きをみる
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・・お返事がない・・ からもう転載しちゃえ( ̄∀ ̄;)ニヤリ 2008年3月25日 (出演終了!) 「少しも行き過ぎた所はなく、舞台は成功でした。今日が最終日なので日本の習慣により「千秋楽!」と叫ばれ、観客はことのほか情熱的... 続きをみる
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以下は私を含むアパート暮らしがいまいちだった人たちの事例です (M美/東直門) 経貿で知り合った大学3年生のM美が留学後期にさしかかり、 寮暮らしに飽きてきて(ルームメイトとも合わなかった様子) しきりに寮から出たがっていた。 それでしばらくしたら東直門にある3DKのアパートを日本人同士でシェア ... 続きをみる
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翌年、北京でバイトを見つけてからは寮を出てアパートを借りるのだけれど、 それはもう少し先のお話・・ 例えば語言大学のような広い敷地なら寮よりアパートのほうが教室に近い場合も 実際あるので、一概に言えないのだけど、 まだ中国に来たばかりの不慣れな状態で、電車やバス、自転車などの通学に なるなら「やめ... 続きをみる
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12号楼の話の続き さて、なんとか 部屋も整い、しばらくすると私の部屋にも 同屋(ルームメイト)がやってきた。 彼女はイタリア人。ナポリの出身で名前はアニエス。 なので、先生から 阿年色(a nian se) という漢字名を付けられていた (もっと綺麗な漢字使ってあげればいいのにね~って、 ... 続きをみる
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変身写真で私がした髪型、「大拉翅」(dalachi ターラーチ)といいます。 映画「ラストエンペラー」や「蒼穹の昴」などを見てずっと憧れてました。 *これに造花や房などを付け、華やかに飾りたてるのです。 初めて見た時は「なんちゅー髪型」ってびっくりするんですが、 見慣れると... 続きをみる