先日は東京まで「京劇とファルセット」という講座を聞きに行ってきました。
またしても夜行バス往復で行くのはしんどかったのですが、大阪ではこういうイベントが無いので。。。
新潮劇院の役者さんのわかりやすい解説で楽しめました。
なかでも、ドラマ「蒼穹の昴」の登場人物であった春児(チュンル)のモデルと言われている「小 徳張(ショウ・トクチョウ)」の人生に焦点をあてたお話が興味深かったです。
(春児を演じた余少群)
このドラマを見ていた当時は、{宦官なのに京劇役者って・・どういうコト?}とか思ってたんですよ。。実は清朝宮廷内で「南部劇団」という宦官により結成された劇団が本当にあったそうなんです。。。(; ̄Д ̄)
(*どんだけ芝居好きやねん、職場で野球チーム作るみたいな感じかな?)
小 徳張は天津の貧しい家庭に生まれました。
12歳のころ従兄弟から貧乏を馬鹿にされ、たいへん悔しい思いをします。それに対して母親は「貧乏人が出世するには宦官にでもなるしかない」と言いました。
これをきっかけに、彼は宦官になることを決意、なんと自らの手で浄心します。
その後、裕福な家庭で下働きをしながら宮廷入りのチャンスをまち、
15歳の時ついに紫禁城へ。
宮中での修業はいわゆるパワハラの世界でたいへんな思いをします。
そして追い打ちをかけるように、ある日厳しい上司から南部劇団へと配属させられるのです。
彼は昼間は宦官としての業務をこなしながら夜は京劇の稽古に励み、
16歳から19歳までの3年間で30もの芝居を覚えたそうです。
芝居が上手で西太后の覚えもめでたく、太后宮(たいこうきゅう)の仕事を与えられます。まさにリアル春児。
*サングラスで顔がわからない *舞台衣装をつけた彼(多分右側)
なかなか男前
23歳~27歳の頃は容齢(ようれい)という女官と恋愛関係にありましたが、
彼女の父親の反対で結婚には至りませんでした。
彼女は宮廷を去り別の男性と結婚します。
ちなみに容齢の姉は徳齢(とくれい)といい、「西太后に侍して」の著者です。
西太后の死後も引き続き隆裕皇后や溥儀皇帝に仕え、皇族方の教育や部下たちの管理に目を光らせるたいへん怖い存在へとなっていったそうです。
隆裕皇后の逝去後は宮廷を出て、天津に居を構えます。
(財産はかなり蓄えてはず)
資料によると宦官ではあったけど、奥さん(お妾さん?)が4人いたとか・・。
どんなことを考えてらしたんでしょうね。