北京見聞録

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ことばのひびき

年号決定しましたね。
令和(れいわ)って最初聞いた時は一瞬冷たい感じがしたけど、今は凛とした良い響きだなあと思います。
しかも万葉集からの出典というのも嬉しい(万葉集好き)(^^)

        




小説「花闇」読みました!
泣けるというよりは重い読後感でしたが。。良かったです。


小説の終わりの方で田之助が大阪公演の後に
      「澤村田之助は、贅六野郎(ぜえろくやろう)の見世物か」
と涙を流すシーンがあるります。


その「贅六」の意味が気になり、前後の文脈から「関西」って意味かなと思って調べたらやっぱりそうでした。
江戸っ子が上方の人をあざけって使う言葉らしいです。
それでふと思い出すと、大阪には「ゼー六」っていうアイスの老舗があるんです。
お店のHPをみると屋号の由来もやはりその「贅六」らしく、簡単に言うと「商人の心意気」を現した言葉のようですね。


https://www.ze-roku06.jp/百年の歴史/
。。幕末の大阪は自由闊達な気風に満ちていたといわれ、次のような言葉が残っています。 「商人には無用の贅物六つあり。いわく禄、閥、引、学、太刀、身分。これなり」これは商人の町・浪速の自由な気風、そしてそこに息づいている実力主義を表した言葉で、 ”ゼー六”はこの「贅六」からとったもの。。

何はともあれ、令和が良い時代になりますように。。

桜の季節

家の前の桜(桃かも?)今年も咲いてくれました 

        

品種は何か分からないけど、色が濃ゆくてソメイヨシノより好きです。
雨降りの桜もいいですね。


最近はギター、カラオケで京劇の歌を練習する日々・・ 
関西で先生をなんとか探せ出したので東京へは行かなくなりました。


忙しくて本を読む間もないけど、久々に引き込まれたのが、皆川博子氏の「花闇」
江戸末期から明治初期に実在した歌舞伎役者のお話です。
澤村田之助(三代目)という女形の役者がおりまして、才能はあるのですが性格に難あり。しかし脱疽という病にかかり手足切断という過酷な目に遭いながら、その身体で最後まで舞台に立ち33歳で亡くなったそうです。

   

*江戸末期~明治初期の人なので写真も残ってる。白粉を塗った白黒写真でも端正な顔立ちを彷彿とさせる。


ドラマ「JIN」にも出てましたね。

さて年号何になるかな??

二回も年号が変わるのに立ち会えて。。
次の改元の時は私はまだ生きてるのだろうか。。?


年号考えてみました
「安和(あんな)」とか「安永(アンエイ)」などは?
個人的にはアがついてほしい。。なんとなく

お守り

奈良の橿原神宮で一昨年の暮れにお守りを頂きました。

           (橿原神宮HPより)    

よくあるタイプなんですが、このお守りのおかげで携帯をなくさずに済んだ事が二度ほどあったんです。
カバンの持ち手部分に掛けていたのですが、自転車の前かごにカバンを入れて走ってる時に、口が斜めになりもう少しで携帯がズレ落ちる所が、お守りの紐がストッパー代わりになったおかげで助かったんですね。


その時は単純に「紐に引っかかって助かった」と思ったけど、後になって「あ、まさしくお守りにリアルに守って頂いた!」と(-人-;)
 
年末に返納して新しいのを頂きたかったんですが、喪中になってしまい今年1年は神社に行けません。


橿原神宮のご祭神は神武天皇。
思えば、なんとなくご利益を感じる石〇神社、産土神である〇無神社も神武天皇とゆかりのある所でした・・。

ご縁があるのかしら?
  
そして神武天皇といえば・・、この絵がかっこよくて大好き! 

                       (神武天皇東征の図) 
・・神武天皇は今風にいえば九州男児なんですね(^^) 


今年1年は摩利支天さんのお守り(土鈴)を頂いてるから大丈夫だけど、喪が明けたら橿原神宮に真っ先にお参りに行きたいと思います。        


中国や台湾のお寺も好きだけど、神社の持つ清浄な雰囲気は世界中を巡っても日本だけのもの。こういう時つくづく日本人として生まれて良かった~と心から誇りに思うのでした。