北京見聞録

留学・就業・ 京劇 時々鳥ネタ

その後・・

その後の約束は特になかったのすが、何日かしてまた何か持ってきてくれたん
ですね。ロビーで待ち合わせしてたんですが、あ~このまま二人で出かけたい
って思ってたら、ちょうど共通の知り合いの日本人の男子学生(J君)が通りがかり、「あれ、二人友達やったん?」となり、そのまま三人でフラリと出かける
流れになりました。 ありがとうJ君(*ノ∀ノ)


朝陽北路からバスに乗り、私の向かいに二人が並んで座って、
ちょうど私側に日が差してきて
    「まぶしいね」「まぶしいって中国語でなんて言うの?」
みたいな会話をJ君としてたら、張くんがニコニコとこっちに来て
「さ、僕の側に座って」と席を代わってくれたんです!


ほんと中国人の男の子は女性に対して細やかなこと。
恋愛感情ぬきにして女性に親切にするというジェントル教育が浸透してるん
でしょうね。 


まだ若い男の子も道を渡る時なんか、ごく自然に自分のお母さんの腰に手を
添えて歩いてるの見たことあるし・・、
日本人の男の子がそんなのしてる所を見たことないわ~。
(ただ中国は交通事情悪いから道路横断が実際危険ってのもあるけどね)


・・そう、それでそのまま3人で后海に行って写真撮ったりしました。
良い思い出になったわ~。


その後・・、また会いたいけど、だけどそっから先はどうなの~・・(*´Д`*)?
とモヤモヤしたり、でも会いたいし~と友人に愚痴ったりしてました。


一度、彼の寮に電話したんですよ。向こうは4~6人部屋とかで、
たまたま彼は留守でルームメイトが出たんですが、めちゃ早口で
「張?不在!〇□*~!」とまったく聴き取れず、自分の名前すら名乗れず
がっくりしてました。 でもたぶん後から私ってわかったんでしょうね。
  「どうしたの?」ってその後電話くれたんですよ!


・・・で、その後二人はどうなったか・・・?


    まあ、聞かないで下さい (゚∀゚) 


でもこれ書いてる今、楽しいし、きっと良い思い出でしょう☆彡☆彡

友人関係


前にアパートより寮がいいと確かに書きはしましたが
寮の欠点は人間関係が狭く、特定の人といったん気まずくなると後がツラいと
いうことですね。
実を言うと前期の半年はクラスメイトとトラブルがあり、あまり楽しい
とは言えなかったのです。


留学に来ていても、中には真面目に勉強しない人もいる。
「ピンイン(中国語のローマ字)がわからない、ピンインを覚えずに中国語を
勉強したいのだけど」と泣きついてきた彼女がいた。


最初のレベル分けのテストで同じクラスにはなったものの、いざ一緒に授業を
受けると、確かに基礎になるピンインをまったく理解しておらず、クラスでも
浮いていた。(クラスは1-8班ある中の5班  / 1班から初級クラス)
「私なんかクラスのお荷物だ」、「ステイ先の家族とうまくいかず悩んでるの」
 といつも暗い顔をして、何とかしてもらおうと周囲に助けてよオーラを放ち、
無視もできないので、いつも愚痴を聞いたり出来る範囲でサポートしていた
つもりだった・・が、


ステイ先をようやく出て(←引越しも手伝いました)途中から寮に入ってきた
彼女だが、その時になってようやく私も気づく。


不意に彼女の部屋を訪れると爪にフンフン♪とマニュキュアを塗り、
日本から持ってきた日本語のエッセイ本を「活字中毒なのよね~」と楽しげに
読書なんかしている(;゚д゚)ェ…。
授業ではいつも半泣きなのにその余裕はな~に??


留学が始まってすぐの9月で私でもそんなヒマはナイ。
なんで出来ないんだろと思ってたがようやく気づく。


    あんた勉強してへんだけやん


その彼女もとうとう授業の速度についていけなくなり、10月になってから
4班へとクラス替えをして出て行った。
ちょうどその頃から私や5班の元クラスメイトに「フンっ」とした態度を取り出したのでした。
 日本人とは誰ともつるまず、廊下で会っても無視や、私が他の子と楽しそうに喋ってると遠くから睨んできたり。


そして共同の台所で鉢合わせした時に、こっちも無視してると
見当違いな文句を言ってきたのでついにバトルとなったのでした。
言い負かしましたよ(#・∀・) 大阪人なんでね・・


彼女は前期の授業が終わると、そそくさと他の大学へ転入して行かはりました。


なんで留学に来たの?勉強しないなら旅行でいいじゃんと思う。
みな自分のレベルを上げる為に来ている。


前期の思い出といえばどうしてもセットになって彼女もついてくるのでした。

前期の授業打ち上げパーティーで5班のクラスメイトと

そしてお正月

年が明け、アニエスも休みを利用してどこかに行ってるのか部屋にいない。
お正月は一人で梨園劇場へ京劇を見に行ったり、互相学習の周さんのお宅に
お邪魔したりして過ごした。


周さんの家は北京の東、物質学院のすぐそばにあった。
71年生まれの彼女は私と同い年、三人兄弟の末っ子というのも共通してか
意気投合した。日系企業に勤めるエリートで、24歳で結婚して子供さんも1人いる
という順風満帆な人生・・。
周さん曰く、「その年(当時30歳)で彼氏もいなくてどうするんですか~!」と
達者な日本語で説教されちゃいましたわ( ´ー`)


そして、「外国に行く予定があるかも。。なのでもし良ければこの部屋をあなたに貸してあげるよ」と誘われた。「いくら?」と聞くと「友達だから1000元でいいよ」とのこと。当時のレートで換算すると14,000円ほど。
前に間借りしていた第二外大の家と違い、内装も綺麗、家具家電もばっちりあって2DKだったか。確かに破格!
ただ、この時は1年の留学で帰国するつもりだったし、寮を出て痛い思いをした
ことからお断りしてしまった。
そして半年後に北京に残ることになり、いざアパート捜しする段階の時には
もう周さんは外国へと旅立っていたのでした。